先週までは、寝る時クーラーさえつけていたというのに
台風の雨ですっかり肌寒くなって、今朝は電気オイルヒーターを
ピアノの下からころころと引っ張り出しました。
電源を入れると、ヒーターの独特の温かい匂いがしてきて
秋というより冬の予感がしました。

今日で9月もおしまい。
振り返れば、楽しいひと月でした。
この頃は一日一日が以前にも増して愛しく思えます。

ブログをご覧下さっている皆様もお元気ですようにheartにじ



下妻 みどり
書肆侃侃房
¥ 1,680
(2008-09-29)
下妻みどりHP「トンビへの道」


フリーライター下妻みどりさんが生まれ、育って、暮らしている長崎を
紹介し、みどりさんの長崎への思いを綴った本が出版されました。
「旅するようにくら暮らしたい
暮らすように旅したい」というみどりさん。
四季折々の今の長崎、昔の長崎、
もっと昔の、みどりさんもまだこの世にいない頃の長崎が
おとぎ話のように詰まっていました。
長年、自ら撮影してきた多くの写真と、
自筆のイラストも目を楽しませてくれます。

P.104には「カフェ豆ちゃん」も載っていました。
そしてページを繰ると数日前にみどりさんと行った
バー「セラー・ランプライター」が。
実際に在る場所が、みどりさんの本の中では、ふっと
イリュージョンのように思えてきたり。。
今当たり前の如く自分のすぐ近く存在する、この街の歴史、風景や場所、
食べ物などが、みどりさんの心の眼を通して語られているこの本を、
秋の夜長にぽちぽちと読んでは
自分自身の長崎への想いを、胸に去来させてみようと思います。
私にしてはめずらしく「長崎に対して客観的になろうとしてもなれないよ、
だって私が生まれた、私の街なんだから」
という気持ちにさせられました。

私の親戚でもあるみどりさん。おめでとう、みどりちゃん!

9月27日夜、
長崎市東古川町、カフェ豆ちゃんにて
長崎弁シンガーソングライター岡野雄一さんのライブでした。
この夜はオカリナの立石さおみさん、バイオリンのfumiさん、
そしてドラマーのレイコさんがパーカッションで共演。
「月見茶屋」「どんげんでんなる」「クレーンハーバー」など約20曲。
岡野さんの唄、その言葉が聴く人の胸の中で踊りました。



「迷子の夏」は、ピアノがアドリブでのオブリガードをつける新バージョン。

ピアノソロはショパンのノクターン作品9-2。
いつどこで弾いても美しい曲です。
ショパンがこの曲を作ってからもう数百年経っていますが、
それが海を越え、時を越え、私たちは今もこの曲に心が震えます。
人が何かを創るということ、そして皆でそれを楽しむということは
素晴らしいなと思います。
この夜は、ライブ後半、自分のありのままを唄う岡野さんワールドに
会場の空気もすっかり練れていて、おかげで落ち着いて、
フレーズのすみずみまで味わいながら弾くことができました。




そして最後、歌詞が微妙にきわどい「寺町坊譚」ではでんしゃシスターズ
のダンスに湧き、私も飛び入り参加。


打ち上げビール。岡野夫妻、はっちゃんQ氏、ダヨシ氏、タッキーペリン夫妻と
トンビちゃん、写真は全てjar氏。
この後、数名でバー「セラー・ランプライター」へ。。。バー楽しい夜。

明日午後7時からカフェ豆ちゃんで
岡野雄一さんのライブがあります。
私は岡野さんの曲「迷子の夏」を一緒にやります。
そしてソロも1曲弾く予定。
詳しくはカフェ豆ちゃんのブログで。

午前中は岡野さんとカナリーホール練習室。
朝3時まで飲んでいたという岡野さんと、
今朝ルーを送り出してついつい2度寝してしまってて、起き抜けの私。
「迷子の夏」への新しいアプローチを2人で模索、実りある時間でした。
明日の晩が楽しみです。
みなさん、どうぞおこしください。

そして今夜は、旧友ぱみんちゃんの娘さん、かんちゃんが修学旅行で
やって来ている〜、というわけで宿を訪ねました。
ルーと、そのお友達も一緒という、異色の顔ぶれ。
夜景の美しい大きなホテルに大興奮の小学生2名、
なんで君たちが、長崎土産を買うのですか?

今日という日は、もう過ぎてしまうけれど、
決して忘れない。
人と人が居合わすということは
夢のように不思議なこと。

ピティナ受賞記念コンサート。

会場の活水女子大学新戸町ホールは、
パイプオルガンのある美しい舞台でした。
スタインウェイの響きもよかったです。
ルーはコンクールの課題曲だった
ハイドン作曲「カドリーユ」とフリブレ作曲「アンニック」
を弾きました。




今日を振り返ると、今年のコンクールが終わった安堵感と、
そして何か、満たされた気持ちがしてきます。
パイプオルガンやステンドグラスのある建物の中に
いたせいでしょう。

子供は大きくなっていく、ルーは4月から3センチも身長が伸びていた。
ということは、手のサイズもじわじわと大きくなっていっているのだ。

例えば1オクターヴ、どれくらい広げたら弾けるかの感覚は人それぞれ。
ルーは、4月にはやっと届いた1オクターヴを、
この頃は、だいぶ楽そうにつかんでいる。
オクターヴを無理に手指をつっぱらせてつなげるより
ペダルでレガートにするように教えたものだったが。。。

そんなルーは、夏に受けたコンクールの課題曲を
あさって受賞者コンサートで弾くのだけれど
右手で弾くド〜ラの音程を、ド〜シとオーバーしてしまったりしている。
これくらいがド〜ラと思って弾いた場所がズレてるようだ。
自分の手なりの音程感覚が、これからどんどん更新されていくんだろうな。

あさってはふわふわヘアにドレス姿でステージへ。
ドレスのサイズ更新はまだしないでよさそうで助かった〜。
音符



演奏は、型抜きクッキーのようであってはならないと思う。
演奏者が曲のひな形に逃げ込んでしまっては、
恐らく何もおもしろいものは得られない。
演奏の場で新しいなにかを始める心がなくては
生演奏の意味はない。

バッハの作った音楽は他の作曲家の作品とくらべて
解釈の自由性を感じる。おもしろいことに速いものを遅く弾いても
バッハならばそこに新しい聴き方が生まれる。ひとつの題材が
メビウスの輪のように変幻自在だ。
様々な解釈によって出来上がる音楽の部屋。その扉は限りなく存在している。
ある晩のコンサートでひとつを開き、
次の晩にはまた違った扉を開く。
そんなコンサートが出来るようになりたい。
heart

スライサーで作ったキャベツの千切りは噛み心地がたよりなく
美味しくないと感じるのだが、
それはあの均一さのせいではないだろうか。
芯に近い白い部分も、葉先の柔らかい部分もおかまいなし考えなしに
同じように削っていくのは、キャベツの味を頂こうとする時
どうなのだろうか。
葉の向きを考えながら揃えて、
トントントンとまな板に音を響かせながら
包丁で千切りにしたキャベツは存在感のある口触りで甘く感じる。


速いフレーズを均等に弾こうとする時
口ずさむ事を忘れ、指で処理しようとするとどんどん音楽から遠ざかってしまう。
そしてどんどん不揃いになっていく。
メトロノーム的には均一でも、音楽として均衡がとれているとは言えまい。

そのフレーズの意図するものを考えたり感じたり、宙にイメージしてみて、
そのイメージに実際自分が出している音を近づけていくと、
やがてそのイメージと実際の音が一体となって来る。
速さはそのフレーズの一要素であり、
速度だけを別物のように求められるものではない。



「みんな乗った〜?」「しゅっぱーつ自動車
みんなお日様の匂いになりました。おてんき




友人の新居。可愛いお花、、ニラの花だそう。
あのニラにこんなお花が咲くなんて知らなかったです。
確かにニラの香りがしました。

おめでとうカフェ豆ちゃんおめでとう
和気あいあいの賑やかなパーティでした。heart
表現者たちを応援してくれるカフェ豆ちゃんの吉田さんに
あらためて感謝です。
これからもずっとカフェ豆ちゃんでいてくださいね星
カフェ豆ちゃんのカフェラテは、美味しい!うっとり


ショパンのノクターン9-2とバッハのパルティータハ短調より1曲。



岡野雄一さんの曲「迷子の夏」「クレーンハーバー」


演奏前。打ち合わせしたのに。。。ウィンク


反省会。えっ、今日は違うコードに変えてみたんですか。。岡野さん。。ひやひや



撮影は全てjar氏。氏のブログ
「フォトラボラトリー」にもこのパーティーの
模様がアップされています。


Calendar

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    
<< September 2008 >>

Archive

Mobile

qrcode

Selected Entry

Comment

Link

Profile

Search

Other

Powered

無料ブログ作成サービス JUGEM